こんにちは、管理人のU2です。

とある自助グループに参加してきました。以下、リフレクションです。

悲嘆があふれる

そこは配偶者を亡くされた方が多い場でした。

最近亡くされた方、数年前~十数年前に亡くされた方などその時期は様々です。そして、病死、突然死など亡くなった理由も多様です。明るく語ったり、ときには泣きながら語ったりと感情も激しく上下します。対話で飛び交う言葉は、ひと言一言に深い意味があり、その意味に共感しようと思えば思うほど参加者個々の心にずしりと重く響いてきます。そうした対話が進む中、ある人の発した言葉をきっかけに深い共感モードに入って行きました。

もし私だったら・・・

妻が数年の闘病生活の末に天寿を全うした。その後、慌ただしく時が過ぎ、数年経ってようやく過去に撮ったビデオを視れるようになった。そこには、懐かしい声とともに動きのある妻の姿があった。埋めようもなく大きく深くぽっかりと空いた穴に落ち込んでいた自分に、少しだけ光を射してくれるような・・ そして穴を埋めてくれるような気持ちにさせてくれる。そうして、一日中その世界に浸っている自分がいる・・・ 
いまはそれでいい、そのままでいい、と自分に言い聞かせながら・・

会場を後にしながら、消耗して精神的にぐったりとした自分へのご褒美にアイスコーヒーをプレゼントしました。ストローでチューチューコーヒーを吸いながら、そしてしばしボーっとしながら振り返りました。あぁ、やはり傾聴は無償ボランティアでやるべきことではないな、と。

グリ研のみなさんは、オフの日に傾聴ボランティアを行っていらっしゃる方が多いようですが、無償ではなく有償にすべきだなと強く感じました。それは、お金を稼ぐということが目的ではなく、本気で傾聴したからこそのご褒美として、お茶代や足代くらいは出てもいいのではないかとの考えによります。そのくらい傾聴には価値があり、傾聴がもたらす効果が高いことを広く知って欲しいと感じた次第です。

ちなみに、café Rodgersにて聞き手になる場合、「自己共感」はあまり感心するやり方ではないですね。自分の感情や反応を投影ばかりしていては、話し手の気持ちを尊重して理解しようとする上で妨げとなる恐れがありますし。まぁ今回は、オブザーバーとしての参加であったためご容赦ください!

この記事を書いた人

BARISTA
café Rodgersの企画・運営をしています。対話のことを中心に、不定期ですが投稿しています。「第三の語る場」が世の中に喜んでもらえるよう頑張ります。