こんにちは、管理人のU2です。

G研に通って3学期を終えた頃、演習を通じて得た学びが大きく分けて二つありました。

身体全体で味わう

一つ目は、傾聴は頭で聴くのではなく身体全体をつかって味わうということです。

それまでは、頭の中だけで感じようとしていたため、視覚化された映像がさながら映画やTVを見ているような二次元でかつ薄っぺらいものになっていました。いま振り返ると、右脳をつかいイメージ化することに腐心していたからのように思います。

相手のノンバーバルから片時も目を離さずに、聴覚・嗅覚・味覚等、頭だけでなく身体全体を駆使して味わうようにチャレンジすることで、私自身の五感に訴える気持ちを初めて味わうことができました。

Aさんの死生観を聴かせていただいた際は、水の中を立ち泳ぎしながら進んでる場面が思い浮かび、日の出前で暗闇の中に広がる水面が、まるでコールタールのように黒々として重みをもってきつい匂いを放ち行く手を阻むのがイメージできました。

またBさんの死生観を聞かせていただた折には、採石場をずり落ちながら登る場面が思い浮かび、砕石されて粉々になった白い砂のような斜面に、10円玉から拳大にいたるまでの硬くゴツゴツした白色の小石が突き刺さり、手をかけて登る度に小石が崩れ落ち粉末上の砂ぼこりが舞い上がって視界を遮るとともに、口の中に入ることで硬い砂が口の中でじゃりじゃりして気分が悪くなっているのがイメージできました。

人格を磨き続ける

二つ目は、自分自身の人格を磨き続けて明確化し、より強固なものとすることに取り組み続けていくことです。

心身ともに自らが幸せでないと真の傾聴につながりませんので、先ずは自分の人格とは何か?自分がどうあるべきか?というブレない軸をつくっていく行為(=明確化)が重要だと思います。

傾聴を必要とする人の物語には、その人となりが、人格をあらわすエッセンスが多く含まれています。


「この人は、この時に、こういう感情を抱くんだ。」
「この経験から、こんな判断・行動をされるんだ。」
など…

いずれも私の人格との差異を目の当たりにすることで、かえって私自身の価値観や行動特性がより明確になっていきました。どの方の語りもユニークでかけがえのないものとの意識をもつことで、傾聴における一体感も醸成されていくのではないでしょうか。

この記事を書いた人

BARISTA
café Rodgersの企画・運営をしています。対話のことを中心に、不定期ですが投稿しています。「第三の語る場」が世の中に喜んでもらえるよう頑張ります。