こんにちは、管理人のU2です。

今回は、キャリアカウンセリングの勉強をしていた時代について振り返りたいと思います。
当時信頼していた部下が退職したことを機に、相手の心に寄り添うという必要性を実感し、苦手だし面倒だけど自分自身の成長課題であると捉えて学ぶことを決心しました。

機械的でビジネスライク

「傾聴」とは何か言葉で理解できても、実際にロープレを行うと機械的に反応してしまう自分がいました。人の話を聞いている途中から「こうすべきではないか」「こうした方がよい」など、何が課題でどうしたら解決するかという思考に切り替わり、時には我慢できずに持論を述べてしまい後悔したこともありました。今振り返ると、早く解決したいという気持ちが無意識に働き、相手が何を感じていてどういう思いで語っているのかを感じることすら面倒である・非効率であると思っていたのかも知れません。

キャリアコンサルタントの資格試験合格を目指す仲間たちと何度も集まり、互いにロープレも重ねましたが、仲間のフィードバックによって何らかの気づきはあるものの、結果どうしたらよいかが分からず苦悩していました。そうして実技は不合格となり、試験管の講評にも「機械的でビジネスライク」との指摘があったことで、ますます泥沼にはまっていきました。

"相手になる"

そんなある日のこと、仲間たちと集まって勉強会を開いていた際に、雑談の中で仲間の一人が「相手になる」という発言をされました。

「相手の立場になる」ではなく「相手になる」とはどういうことだろうと自問自答した結果、「もし、私が●●さんだったらどう感じるだろうか?」との思いにいたりました。

早速、ロープレの相手であるAさんに「相手になる」を試してみたところ、ロープレで何を話したかも覚えていないくらいに気が付いたらあっという間に終了していました。まるで、自分の頭の中にある見えない思考のフィルターがとれて、相手と一体化したような不思議な感覚でした。そして、ロープレを聞いていたオブザーバーの仲間たちからも、すごくよかったと賞賛されたことで、いままでのモヤモヤも一掃され、一筋の光明が差したような気がしました。

その後、会社での人事面談の際や家族や友人の苦しみや悩み等を聞く際に、「相手になる」を意識して活用していきました。

「相手になる」ことができているか否か自分では判断もつかず、未だ試行錯誤を繰り返しています。しかし、話を聞いた後に相手から感謝される回数が増えたことで、心の中でNOと思ったり課題解決思考に陥ったりすることが減ってきたためであると理解しています。特に、弟が絶望の淵に立たされたときに、「相手になる」状態で傾聴したことがありましたが、弟より感謝されたことが強く印象に残っています。それは、人の悩みや悲しみを聴くことが役に立つということ、そして自分自身のやりがいにもつながっているということに気づけた瞬間でした。

この記事を書いた人

BARISTA
café Rodgersの企画・運営をしています。対話のことを中心に、不定期ですが投稿しています。「第三の語る場」が世の中に喜んでもらえるよう頑張ります。